さようなら、また会える日まで
●前回までのお話
あれから25日の間、優しい人間と触れ合いながら、毎日を平和に過ごしてきた。人間がかまってくれないときは、こうやって、頭の中で自分の事を何度も話してきた。
人間はとても忙しくて急いでいるから、僕のそばに来ても話を聞いてくれる余裕はないようだ。陽が陰ってきたので、そろそろ帰ろうか。そう思った時、一人の女性が近づいてきた。
「君、今日は夕方にいるのだね。朝、餌もらえなかったの?」
そういいながら、のどの辺りを優しく撫でてくれた。撫でてもらっている間は、あきちゃんと朋ちゃんの事を思い出して幸せな気持ちになるんだ。
今まで優しい人間が何人も僕の事を撫でてくれたけれど、人間は忙本当に忙しいみたいで、少し撫でるとすぐに僕のもとを立ち去ってしまう。この女の人も、すぐに立ち去ってしまうのだろうな。
「ところで、君の名前はなんていうの? ・・・って、野良猫に名前はないか。じゃあ、レナちゃんと呼んでもいいかな?」そう言いながら、首や背中辺りも撫でてくれた。
気持ちよくなってきた僕は、立ち上がって体の向きを変えてゴロリンと地面に寝そべった。この女の人なら僕の話を聞いてくれるかもしれない。だけど、今日はもう疲れてしまった。
「レナちゃん、今日はとても急いでいるからまたね。明日もここにいてね。会いに来るから」 優しく頭を撫でてくれて、女の人は僕から離れていった。
陽は完全に沈み、もうすぐ今日が終わる。僕の命は今日を含めてあと5日で終わる。残念ながら、明日はもうここへ来ることは出来ない。
さて、明日から最後を迎える日までどのように過ごし、その後の僕はどうなってしまうのかって?
まず、明日から3日間をかけて自分の名前以外の記憶は完全に失われていく。名前以外の記憶を失った最後の日に、神様の遣いがやってきて招待状を受け取る。招待状に書かれてある地図をたよりに神様の家へ行き、そこで新しく始まる人生についてのお話を聞く。
お話を聞き終わったら、自分の猫生が本当に幸せだったという気持ちを神様から貰える。「幸せだった」という気持ちをもたないままだと人間に生まれ変わることが出来ないからだ。
そしてそのまま神様の家で新しい人生に備えてゆっくりと休養をとる。眠りにつき、次目覚めた時は新しい人生の始まりの日だ。もちろん、名前も猫だったことも猫生で経験したこと全てについての記憶は消えている。
近いうちに僕は、人間に生まれ変わって大好きな人の傍にいることになると思う。そう、大好きだったあきちゃんと朋ちゃんの赤ちゃんとして生まれることに決まったのだ。
僕が赤ちゃんとして生まれ変わったとき、あきちゃんと朋ちゃんに喜んでもらえるかな。
どんな名前を付けてもらえるかな。男の子になるのか女の子になるのか、それは生まれてからのお楽しみ。実は僕も知らない。
ただ一つわかっている事は、僕は「最高に運がいい猫」だったことだよね。
とても長い僕の話を聞いてくれてありがとう。
その後のお話
あきちゃんと朋ちゃんと僕たち
「がんばれ! あと少しで赤ちゃんに会えるよ」
5月の風が心地よく吹くある日。新しい命がもうすぐ誕生しようとしている。お腹の大きなメス猫を、心配そうに見つめている2人の若い夫婦がいた。夫婦が飼っているメス猫は、出産の日を迎えて頑張っている。
「みゃぁ・・・」
「あっ! 1匹目が生まれた。」
最初に生まれたのはオス猫だった。続いて、メス猫が2匹生まれた。少し時間をおいて最後にもう1匹メス猫が生まれる。
「うわぁ・・無事に生まれた。良かった。モモちゃんよく頑張ったね!男の子と3姉妹の4兄妹だよ」母親となったメス猫に声をかけ、出産をねぎらい、若い夫婦はとても喜んだ。実は、この若い夫婦の間にも3か月後には赤ちゃんが生まれる予定だった。
「家族が増えて嬉しいな。僕たちの赤ちゃんも元気に生まれてくるといいね。生まれたら、ますます賑やかで忙しくなるけどな。」
「ほんと。赤ちゃん猫たちは、モモがしっかり世話してくれると思うから心配ないよね。それより、あきちゃんもパパになるのだからしっかりしてよね」大きくなったお腹をさすりながら朋ちゃんは言う。
「了解!しばらくはモモの子育てを手伝いながら、生まれてくる子のパパになる心の準備を整えていくよ」と、あきちゃんが答える。
そう、この若い夫婦は僕の元飼い主だったあきちゃんと朋ちゃんだ。新しい家に引っ越してから1年後、2人は結婚して赤ちゃんを授かった。僕の命の灯が消えて神様の家で休養の眠りについているときだった。
夏に生まれる予定の赤ちゃんは男の子だということが分かっている。この男の子は僕だと言いたいところだけど、違う。
モモが産んだ猫4兄妹のうちの1匹、長男として生まれてきたのが僕だ。
生まれたばかりの僕たちの身体を母親のモモが舐めてくれているとき、僕は不思議な感じがした。お腹の中から外へ出てきた時にはじめて聞こえてきた人間の声は、たしかに僕が大好きだったあきちゃんと朋ちゃんの声だった。
「あれれ? 人間の赤ちゃんも生まれたら舐められるのか? まてよ。僕、人間じゃない!!」
人間として生まれ変わるはずだったのだが予定が狂ってしまって・・・・というか、神様の手違いで人間の赤ちゃんではなくてまた猫として生まれてきたのだ。しかも、以前の猫だった時の記憶を持ったままでね。
母親は「モモ」、妹たちは、ユリ、ケイ、ミキと名付けられた。
僕の名前は・・・よく気が付いてくれたね。以前の僕の名前も伝えていなかったね。だけど、名前は言わないでおくよ。新しい猫生になってからの名前も秘密。君が好きな名前を付けてくれるといいよ。
さて、僕が大きくなったらまた冒険に出るのか。
いや、もうそんなことはしない。ずっと、あきちゃん朋ちゃんの家族として生きていくんだ。
途中で終えてしまった猫生を、もう一度やり直そうと思っている。今度は、自然に命の灯が消えるまでずっとあきちゃんと朋ちゃんの家族でいたい。
あきちゃん、朋ちゃん、改めてよろしく。
(終わり)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! あやのはるか