●オリジナルストーリー(短編) 約4180文字
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「誰かと偶然2回会うことがあれば、その方人との出会いは運命ですよね」
ピンクの容器に入ったアルコールをコットンにとり、私の指先を丁寧に消毒しながら美登里は言う。ある出来事が偶然によって複数回重なることは、その出来事に関わった自分と自分以外の人は運命によって結ばれているのではないかということが美登里の持論らしい。
彼女は葵が三年前から通っているネイルサロンのオーナーだ。
「私もそう思います。実は過去に経験があって・・」と葵は答えた。
葵には、絶対にこんな場所では会わないだろうという場所で二回も会った友達がいる。
友達との偶然の出会い一度目は、お互い関東に住んでいたのに大阪の地下鉄に乗っている時に中で会った時。その時は、混雑を避けるため一本見送った後の電車に乗り込んだ。何気なく隣の車両に移動したときに友達を見つけ、お互いに驚きの声をあげたのだった。
久しぶりの再会ではあったが、残念ながらお互いその後の予定があったため、葵は次の駅で先に電車を降りてそのまま別れることになった。その日、葵は大阪の実家へ二年ぶりに実家に帰る途中だった。友達はその日、たまたま出張で大阪へ来ていたらしい。
そして二度目は初めて下北沢駅に行った時の事だ。葵は仕事帰りにライブハウスへ行くため、大手町から東京メトロで下北沢駅へ向かった。自宅は横浜なので、普段であれば東京駅からJRに乗って帰る。駅に着き出口に近い改札へ向かっていた時に偶然の再会となった。
友達が小田急線の改札を通った瞬間に、改札近くにいた葵と目が合ったのだった。その少し前に葵は、間違った改札に向かっていることに気付き、方向転換をして改札の前まで来た時だった。
葵が下北沢駅に行ったのはこの日が初めてで、普段から利用している駅ではない。コンサルタントをしている友達は、その日は打ち合せ後にクライアントさんと雑談をしていて予定より駅に着くのが遅くなったとのことだった。
「きっと、葵さんとそのお友達と出会いも運命だったのでしょうね」
そういえば、美登里と葵も偶然二度街中で会ったことがある。
もしあの日、葵が左に曲がらず右に曲がっていれば、美登里とは会わなかっただろう。あるいは、一つ手前の駅で降りることなく予定していた駅で降りていれば合わなかっただろうし、コーヒーショップに寄っていれば美登里と会うことはなかったのだ。
その時の判断や思い付きで予定外の誤差が生まれる。誤差の影響で、それから後に起こる出来事は大きく変わる。友達との再会も、美登里との偶然の出会いも、大きさが変わっていれば会う事はなかっただろう。
「聞いたことがある可愛らしい声だなって思って見上げたら、葵さんなんだもの。あの時は、びっくりしたわ」
「私も、綺麗な人がパラソルの下で本を読んでいると絵になるなと思って見つめていたら、美登里さんだったんです」
雑談をしながらも、ネイルの施術はどんどん進んでいく。
ネイリスト歴10年になる美登里の手の動きは、いつもながら流れるようで無駄がなくスピーディーだ。不器用で美的センスがない私は、きっと生まれ変わってもネイリストにはなれないだろうと思っていた。
化粧っ気が無くアクセサリーもほとんどつけない葵がネイルサロンへ行くことになったきっかけは、転職により名刺交換の機会が増えたことだ。これまではデスクワークを中心とした内勤業務でパソコンが相手だった。
部署内の女性は自分を含め服装もメイクも地味で、もちろんネイルを施している人はいない。外部の人と接することもほとんどなかったため、爪をきれいにしようという意識は葵の中にはまったくなかった。
今はアシスタントとして上司の代わりに来客の一次対応をしたり、取引先へ同行したり、交流会や食事会へ参加することが多い。そういう場では名刺交換がつきものだ。
名刺を渡すとき、名刺に書かれた自分の名前と同じくらいに、相手が女性であれば名前以上に相手の視線が向けられる指先。名刺交換を重ねていくうちに、相手や自分の指先に意識が向くようになっていった。
来週の木曜日は葵が転職してはじめての出張がある。視察、打ち合せ、取引先主催の勉強会へ参加した後は、参加者交流会だ。
また、何人かの相手と名刺交換がある。そう思った時、手入れが行き届いていない爪の形とか、ささくれとか、しわやシミのある手の甲がどうしようもなく気になった。
すぐさまインターネットで自宅サロンを開いているネイリストさんを検索したところ、葵の自宅から電車で2駅先にある美登里のサロンを見つけて予約をしたのだった。
初めて美登里のネイルサロンを訪れた時に、どうやってここを見つけたのかと聞かれた。検索したり、ブログを書いたりしているネイリストがたくさんいる中で、なぜ美登里のサロンを選んだのかと。葵は、ホームページで美登里の写真を見た時、何となくこの人に会いたいと思った。無意識の中で運命を感じたのかもしれない。
アメリカではお化粧をすることと同じくらい指先の手入れに気を配ることもマナーの一つだそうだと、美登里が教えてくれた。
爪周りの手入れをしてもらい初めてのネイルを施した翌日の名刺交換では、「綺麗な爪ですね」と、名刺を交換する度に言われたことがとても嬉しかった。
パソコン作業をしなくても、時々視線を向けたその先にある自分の指先がきれいだと気持ちが高揚し笑顔になれる。少し億劫だった名刺交換も自信をもって出来るようになった。
全身の全てに気を配ることは生来ものぐさな葵にとって面倒だと思えるのだが、せめて爪くらいはこれからもずっときれいにしておこうと思った。こうして定期的に美登里のサロンへ通うようになったのだ。
毎日どこかでたくさんの誰かとすれ違っているが、目を合わせることも何かかかわりを持つこともめったにない。世界中にいる大勢の人の中で、お互いの名前を知っていて会話をする関係にまでなることは奇跡に近いのかもしれない。
そう思うと、手際よく施術を進める側とそれを受ける側とで会話を楽しんでいる私たちは、奇跡の時間をすごしている。とても素敵な事だ。
「さて、葵さん。今日は何色気分ですか?」
「前回がキュートなピンクだったから、今日は落ち着いた色・・そう、紺色にしようかな」「いいですね。次回にいらっしゃる時には新色のご提案が出来るかと思います。今日は、この中からイメージに近い紺色を選んでみてくださいね」
ネイルチェンジの日は、これから指先がまた新しく素敵に生まれ変わる期待感とは別に、色やデザインを選ぶ楽しみがある。パールやレースなどのワンポイントをどの指に浮かべてもらおうか。どんな色にしようか。
事前に決めてサロンを訪れることもあるが、サロンについてから美登里との会話の中で、その瞬間に心惹かれた色や直感で選んで配色にしてもらうことが多い。
さくらは、色を乗せたカラー見本のチップから紺色を指に合わせてみた。
まだまだ暑いとはいえもうは九月の半ばだ。茶色っぽい色や紺色の装いをしている人を見かけることも増えてきた。ポップで明るい色より落ち着いた色味を選ぶほうがこれからの季節には似合いそうだ。
様々な色味を見ていると、紺色ではない別の色がふと気になった。パールが入った淡い紫だ。方向を変えてみるとシルバーのようにも見える。
「上品だけれど、シンプルすぎるかな」
葵は独り言のようにつぶやく。
「あ、それはとても上品な仕上がりになりますよ。一色塗ではなく少し色味を変えた別の色と交互に塗るのもかわいいです」
美登里が葵のつぶやきに対して答える。
これまでは一色を選んでグラデーションにしたり、ワンポイントに左右一本の指だけ色を変えたり、ストーンやパールをつけるといったパターンが多かったのだが、交互に塗るのも新鮮だ。
気になった淡い紫とそれに合うピンクを選び、交互に塗ってもらうことに決めた。淡い紫はシルクラベンダーという色で、ピンクは恋するグアバだったかな。ネーミングが面白い。
「シルクラベンダーという名前のほかに、425という色番号も付けられていますね」
「へえ、そうなのですね」
4(よん)2(に)5(ご)。三つの数字を足したら十一になる。今日は九月十一日。なんだか不思議な偶然だ。数字遊びが好きな葵はそう思ったが、口には出さず心の中でふふふと笑った。
「今日は、いいことがありそう」
「あら、それは楽しみですね」
同じ数字が揃ったり、数字何か意味づけが出来そうな組合せを見つけたりした日は素敵な一日になるのだと葵は信じている。
仕上がったネイルも予想以上に上品で素敵だ。控えめに輝くピンクと紫を見ていると嬉しくて、誰かに見せたくなる。
「葵さん、今日のネイルを一言でいうと何ですか?」
茶目っ気のある瞳で美登里が葵に質問した。
「すぐには浮かばないですね。え~と・・・」
「それは今日の宿題ですね」と美登里が微笑む。
葵は表参道から地下鉄に乗り、大手町に着くまでの間ずっと指先を見つめていた。シルクの上品さを纏ったそのネイルを見ていると今日一日で溜まってしまった仕事の疲れが和らいでいくようだ。
葵は、ネイルの日はいつも遠回りをして東京から新幹線に乗るようにしている。
大手町に着いた。券売機で駅名を指定してお金を入れる。出てきた乗車券を手に、新幹線の発車時刻を確認する。今は20時30分。いつもは21時過ぎ新幹線に乗るのがやっとだが、今日は少し早く施術が終わったので、20時40分発の新幹線に乗ることができる。
葵は階段を駆け上り、自由席がある3号車まで小走りに急いだ。
さあ、今から東京駅から新横浜駅までの約20分の小旅行だ。居眠りして乗り過ごしてしまわないように、少し緊張して座席に座る。
新幹線が動き出してすぐに車内アナウンスが流れた。
「この列車はのぞみ425号です・・」
「え?」
葵は、びっくりした。なぜなら、今日選んだネイルのメインカラーの色番号が「425」だったからだ
「なんという偶然なの!」
予定外の色を選んだことで起きた奇跡のような出来事。運命について話題にした日に舞い込んだ小さな偶然。
偶然と運命の二人三脚で、人生は小さな奇跡を少しずつ起こしながら進んでいくのかもしれない。私もまだまだ、これから先もどんな偶然と出会い、運命の誰かとの出会うのだろう。
明日が、また楽しみになった。
(おわり)