小さなお話から少し大きなお話まで オリジナルストーリーと自分史を公開しています

  1. 創作ストーリー

18秒間のタイムスリップ

●オリジナルストーリー(短編) 約5300字


高校時代の同級生を見かけた。

あの日は、有給休暇をもらい会社を休んだ。特に予定があったわけではなかったが、誰にも邪魔されない場所でゆっくりと考え事をする時間が欲しいと、ふとそう思ったのだ。

お気に入りの本を一冊とノートとペン、付箋を普段使いのカバンに入れる。私は通勤ラッシュの時間帯を避けていつもより約一時間遅く家を出て駅へ向かった。隣駅のカフェでモーニングセットをオーダーできるのは10時半まで。9時半までにはカフェに着くだろう。

月曜日から金曜日まで会社員として働いている私にとって、自分だけの平日休みは、このうえなく贅沢な気分になれるのだ。目が覚めたときに今日の外出が通勤ではないと思うだけで開放感がある。

普段は慌ただしく支度をして夫と一緒に家を出るのだが、今日の私は寝巻のままで化粧もせず、余裕の笑顔で夫を送り出した。

一日は長いようで短い。どう過ごすかをあらかじめ決めておかないとあっという間に終わってしまう。今日は、隣駅にあるカフェで三時間ほど過ごした後、秋の海へ行き夕日を拝んでくる予定だ。

海へ向かう電車は、平日の昼が一番空いている。横浜から鎌倉駅までは三十分くらいなので、本に夢中になっていたらあっという間に到着するだろう。駅に着いたら、由比ケ浜まですこし長めのお散歩を楽しむ。

いつも私の頭の中は平日の仕事と家庭のことでいっぱいだ。本当はもっと自分自身の大切な事に頭も時間も体も使いたいのだ。心の中にあるときの声は自由で素直なのに、口から出ていく時には、周囲の人への気遣いから嘘つきの言葉に変換されてしまっている。

終わったこと、今のこと、これからのこと、不安なこと、周囲との人間関係・・・。ああ、今日だけは後悔や愚痴や文句、ネガティブな考えはしないでおこう。素直な自分になろう。

カフェでモーニングのサンドイッチを食べた後、残りのコーヒーをゆっくり飲み干し、カバンから持ってきたノートやペンを取り出して、付箋に言葉を書き留める。

付箋に書き留めた言葉をノートへ貼り付け、また付箋に書き留める。ある程度溜まったら貼る位置を変えたり、また付箋に書いたり貼り付けたりという作業を私は繰り返した。

付箋を全部並べて俯瞰してみると、気づきがあるだけでなく頭の中をクリアにする方法としてもおすすめだと上司が教えてくれたのだ。

確かに並べた付箋を眺めていると、自分の頭の中を客観的に見つめている自分の存在を感じる。いままで気づいていなかった自分自身に出会えたような気がして面白い。

頭の中にある言葉を文字にすることで、一度頭の中を空っぽにする効果もあることがよくわかる。仕事や家庭以外の事も考える余裕が生まれたような気がする。

カフェの時計は十二時十五分を指していた。

十二時三十分の電車に乗ろうと思い、食器や使い終わったナプキンを載せたトレイを片付けてカフェを出た。すぐ横にあるコンビニでおにぎりを二つ買って、ICカードをかざし改札を通り抜けて右側のエスカレーターに乗った。

エスカレーターがホームに着くと右側のホームを進行方向の逆へ進み、六号車が止まる位置で電車を待つ。何気なく振り返ってホームの時計を見たら、十二時二十三分だった。

その時エスカレーターから降りてくる一人の女性の姿が視界に入る。

エスカレーターを降りた女性は、右側のホームの五号車が止まる位置に立った。私からの距離は四メートルほどだ。私は何気なく彼女の顔を見つめていた。何となく、以前どこかで会ったような気がしたからだ。

あっ、彼女は高校時代の同級生だ!
記憶がよみがえった瞬間、周囲の雑音が消えて時間が止まったような感覚が数秒間続いた。

確か彼女は結婚してすぐ神奈川県へ転居した。彼女より3年早く結婚していた私は、結婚後も大阪市に住んでいた。その後二回引越しをしたが大阪市から出ることはなかった。

六年前に夫の会社が買収された。それがきっかけで夫は転勤を命じられたため、私たちは大阪を離れ神奈川へ転居した。社会人になっていた娘は大阪に残り、一人暮らしをしている。

引っ越し当初は土地勘が無かったことで気づかなかったのだが、私たち夫婦が住み始めた町から3駅先に彼女が住む町がある。本気で会おうと思えばいつでも会える距離にいたのだ。

彼女とは長い間年賀状のやり取りをしていたが、彼女から届く年賀状には住所以外の連絡先は書かれていない。

一言添えられているメッセージはいつも同じ、「いつか会いたいね」だった。

けれども「今度、会おうよ」とは、どちらからも言い出すことはなく、メールアドレスや携帯電話の番号を交換することはなかった。

三年前に彼女から喪中のお知らせもらってから、社交辞令的な年賀状のやり取りは途切れてしまっていたことを私は思い出した。

高校卒業後の数年間は、学年毎・クラス毎・クラブ毎など、いろいろな名目で定期的に同窓会が開催されていた。そこで顔を合わせた彼女と高校生活の思い出や近況を話すこともあった。

結婚する同級生が増えるにつれ同窓会が開催される頻度は減っていった。いつの間にか、同窓会のお知らせは全く届かなくなっていた。

特別親しい友人がいなかった私は、同窓会のお知らせが届かなくなったころから同級生たちとのつながりは、事務連絡的な年賀状のやり取りだけになっていく。

「結婚しました」
「子供が生まれました」
「小学生になりました」
「家族がまた増えました」
「転居しました」
「子供たちも社会人になりました」
・・といったような。

最後に彼女と話した日から今日までの時間の流れの中で、彼女には様々なドラマやストーリーがあっただろう。笑顔の日も、泣いた日も、怒り狂ったり絶望したりしたことも。子供が出来なかったことで辛い思いもしたかもしれない。

私にだって、娘と大喧嘩をして険悪な雰囲気が続いたこともあれば、夫との関係が危うくなったこともある。問題や困難を乗り越えて今は平穏な毎日を過ごしているが、知られたくない事や話したくないことも多い。今の年齢だからこその不安や悩みも尽きない。

目じりにうっすらと皺があり白髪が少し混じっているけれど、男性に人気があった高校生時代の可愛らしい雰囲気はそのままだった。

でも彼女はとても疲れているように見えた。仕事帰りなのだろうか。化粧っ気が無くラフな格好からは、スポーツジムで汗を流してきた帰りかもしれない。

ホームに立ちうつむき加減に前方の一点を見つめていた彼女は、私には気が付かない。その時私は、自分が乗りたい方向と逆のホームに立っていることに気づき、彼女の前を通り過ぎて横浜方面行のホームへ移動した。

学生時代の同級生を街中で偶然見かけたとき、声を掛ける割合はどのくらいなのだろう。

会っていなかった時間が長ければ長いほど、声を掛けることを躊躇する時間は長くなり、声を掛ける割合は下がるのではないだろうか。

その人との過去の関係性にもよるだろうが、相手に気付かれないうちのその場を離れるか、相手がこちらに気づきませんようにと願いながら視線を外すのだと思う。

私はどうする?

声をかけようかどうしようかと悩んでいるうちに、電車が到着するというアナウンスが聞える。あと二十秒ほどで電車はホームへ入ってくるだろう。

小さく息を吐いて、彼女のことを再び見つめた。

その時、急にアナウンス音が消えてふわりと私の体が浮いた感覚の後、高校時代の教室の風景が広がる。

そこでは、友人たちに囲まれて談笑している可愛いらしい笑顔の彼女がいる。私はその教室の中にはいない。透明人間のように、私の意識だけが教室に存在しているようだ。

高校一年生の彼女は、自分の夢について友人たちに話していた。

手にしている一枚のイラストは、漫画家になるための一歩を踏み出すものだ。初めて描いた漫画の主人公のイラストを見た友人たちは「絶対に漫画家なれるよ。こんなに上手いのだから」と、絶賛する。

中学生まで抱いていたいくつかのキラキラした夢は、高校入学と同時に私の中から消えた。これからの三年間は目立ないように過ごし無事に卒業できればいい。そう思っていた私は、夢を語る彼女とそれを応援する友人たちに対して勝手に壁を作っていたことを思い出した。

「ねえ、あなたの夢を教えて」
彼女が私の方に向かって問いかける。
「え? 私は・・」
急に話しかけられて戸惑い、夢を持たない私は何も答えられない。

どうしよう。答えを待っている彼女の視線を感じる。早くこの場所から逃げ出したいと目をつぶったら、足元に地面を感じて電車のドアが開く音が聞えた。目を開けると、そこは私が電車を待っていたホームだった。

私は乗り込もうとする人の邪魔にならないように、後ろへ下がってこの二十秒足らずの間に起きたことについて考えていた。ひょっとして私は過去へタイムスリップしていたのだろうか。

ドアが閉まり、ゆっくりと動き出す乗り損ねた電車を見つめながら私はまだ迷っている。今すぐ声を掛ければ、まだ間に合うのだよ。ほどなくして彼女が立っている側のホームへ電車が入ってきた。

さあ、どうする?

電車のドアが開きくと彼女はゆっくりと目の前の車両に乗り、奥のドアの方へ進んでいった。ドアにもたれかかると携帯電話を取り出し、画面を見つめている。まだ空いているドアの外から少し離れた場所で私は彼女を見つめた。

「声を掛けなければ後悔するかもしれないよ」

どこからかそのような声が聞えた。今すぐ彼女と同じ電車に乗り、タイミングを見計らってさりげなく声を掛ければいいのだと思うのだが、足が動かない。

結婚して地元を離れて生活してきた場所で、突然高校時代の同級生から声をかけられたとしたら、とても迷惑なことなのではないか。

迷惑どころか、彼女は私のことを完全に忘れていて、不審者を見るような視線を向けられるかもしれない。そう思うと怖くてどうしても勇気を出せなかった。

彼女が乗った電車を見送った後、胸の奥に少し重たいものを感じた。そして、後から後悔の気持ちが湧いてきた。声を掛ければ良かったのかな。でも、今更どうしようもないよね。

気持ちを切り替えて休日の続きを再開した私は、横浜駅で鎌倉行きの電車に乗り替えて空いている座席に腰を下ろし、本を開いた。車窓から降り注ぐ陽の光が私の背中がじんわりと温め、体をほぐしてくれるようで心地よい。

鎌倉駅に着いた。見事な青空が広がっていて十一月とは思えない暖かさだ。

由比ケ浜がある方向へ歩きながら、先ほどの偶然の再会と、二十秒に満たないタイムスリップが意味することは何だろうと考えた。

運命の女神様の気まぐれが私たちを引き合わせたのだろうか。彼女が結婚して住んでいた町に二十年以上遅れて自分が住むことになった時、偶然彼女に会うことがあるかもしれないと感じたこともあった。縁があるから出会ったという事かもしれない。

特に意味もなければ何かの予兆でもないのだろうが、高校生の時に大きな夢を描いていた彼女との再会は、幸運のシグナルだと考えれば楽しい。

そういえば、彼女が高校一年生の時に抱いていた夢は叶ったのだろうか。それとも、結婚をして諦めたのだろうか。もしかして、現在進行形で夢へ向かっているのだろうか。

私の今の夢、これからの夢は何だろう?
手放してしまった夢、忘れてしまった夢は何だっただろう?

まだ夕日になる前の黄色い太陽は眩しくて、見つめることは出来ない。帽子を深くかぶり、防波堤に腰掛け、砂浜を見つめながら私は考えた。

いつも平日の仕事と家庭の事で頭がいっぱい。本当にそうだろうか。
高校生で夢を手放し、大人になってからは自分を忙しい人に仕立て上げて逃げていないかな。
何かを成し遂げてもいないし、未だに何もできない。何も進んでいないだって?

そんなことはない。たくさんの事をしてきたし、小さい夢なら沢山かなえることが出来ているよ。今だって頑張っているでしょ。いつだって、ちゃんと前に進むことが出来ているよ。

もうすぐ夕日に生まれ変わる太陽が、柔らかい声で私に伝えてくれた。

「由比ケ浜の夕日はどうだった?」
夫からLINEのメッセージが届いた。
「最高に素敵だったよ。頭もすっきりした」
私はさっき撮ったばかりの夕日の写真を添付して夫へ返信した。

 鎌倉駅で帰りの電車を待っている間に夕日は完全に沈み、あたりは静かに青黒い闇が広がっていく。贅沢な平日休みはもうすぐ終わりだ。夫へのお土産が入っている黄色の紙袋に描かれた鳩のイラストが、なんだかにっこりと微笑んでいるような気がした。

名前も顔も忘れてしまったクラスメート達。

ほとんどの人は今日もどこかで、元気に仕事をして、自分の人生をがんばっているのだろう。実際は近くにいるのに、たまたますれ違うことが無いだけなのかもしれない。

平日にまた休みを取って、あの駅に、同じ時間にホームへ下りればまた彼女と会うことができるだろうか。本当に縁があれば、また絶対に会えると思う。今度はちゃんと声を掛けよう。

彼女に会えたら、再会を喜び一通り挨拶の言葉を交わした後に、質問するのだ。

「ねえ、今のあなたの夢はなに? 私の夢はね・・・」

(おわり)

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