「なあ、紗香。もし将来家族で住むならどんな家がいいとかって、考えたりする?」
「えっ? いきなりどうしたの」
「いや・・」
「もしかして・・・。いえ、翔太、何かあったの?」
彼女の瞳には嬉しい出来事がこれから起こることを期待しているような輝きを放っていた。けれど、今そのタイミングではない。今晩のサプライズまで絶対に悟られてはいけないのだ。
大切な事を伝えるのに、会話の成り行きでとか、ありえない。しかも、二人とも寝起きの状態だなんて、後々子供に聞かれたら恥ずかしくて答えられないようなシチュエーションでのプロポーズはするべきではない。
「実は、僕の実家がリフォームする予定とかで。先週帰った時に、おやじとおふくろがリビングとキッチンの間取りの事で喧嘩していたことをふと思い出してね」
「へえ。そう」
特に興味がない様子の彼女は、会話がこれ以上続くと困るのかさっと立ち上がり、メイク道具などが入ったポーチを手に髪の毛を触りながら洗面所へ歩いて行った。
心なしか、紗香ががっかりした様子を見せたような気がしたが、スーツケースの奥に隠してある指輪や今晩のサプライズ計画には気づいていないと思う。朝から、僕の実家の話なんかを持ち出されたから機嫌を損ねてしまったのかもしれない。
僕は彼女と付き合い始めた当初から、二人で人生を歩いていきたいと強く思っていた。けれど、まだまだ給料は安いし、一人暮らしをしていると貯金もなかなか増えていかない。
これからも大きく収入が増えるかどうかは未知数なわけで、自信をもって結婚の申し込みをすることが出来ないまま、恋人の関係を続けてきた。
二人の旅行は今回が初めてではないが、いつも出来るだけ安く済ませてきた。今回もいつもと同じ、まあ、いわゆる貧乏旅行だが一つだけ違うことがある。
夕食は宿泊するホテルの共有ダイニングのブッフェはキャンセルして、タクシーで五分ほどの距離にある普段は行けないちょっと背伸びしたレストランを予約しておいた。
高級イタリアンやフレンチというわけにはいかなかったのだが、写真で見ると良い感じの店内だ。ドレスコードは問わないということだし、記念日やプロポーズに利用する人も多いそうだ。
うっすらと化粧をしてヘアスタイルを整えた紗香が、洗面所から戻ってきた。
「さっきの返事だけど、将来家族と住む家なんて全く考えられない。ごめん、まだ仕事とか目の前のことでいっぱいなの」
「そうだよね」
あれ?翔太をがっかりさせちゃったかな。私、ちゃんと気付いているんだよ。翔太が今回の旅行でプロポーズをしてくれるってこと。昨日ここへ来る前に、宝石店から翔太が出てくるのを偶然見かけたの。手には小さな紙袋を持っていたから、中身はきっと指輪ね。
けれど、知らないふりしておこう。そして、今晩の翔太からのサプライズに心の底からの笑顔と驚きを見せるの。だって、ずっと待っていた日だもの。大切な瞬間を最高の思い出にしたい。私なりの気遣いだよ。ふふふ、私がこんな風に考えているってこと、翔太、気づかないだろうな。